鹿児島地検の内藤秀男検事正が就任記者会見で、原口さんに寄り添う報道で(死体遺棄の)真犯人に論究するのは「人権侵害になる」などと述べてメディアを牽制したことについて、大崎事件弁護団と冤罪犠牲者の会が抗議声明を出しました。 
下記の声明をご参照ください。 

鹿児島地方検察庁 内藤秀男検事正の就任記者会見における発言に対する抗議声明

 

 昨日(2020年9月16日),鹿児島地方検察庁に着任した内藤秀男検事正が,就任記者会見において,大崎事件に関し,記者からの質問に答える形で, 

 「第3次請求についてはよく知っており,請求を棄却した最高裁の決定は非常に重く受け止めている」と述べたうえで,

「第4次請求では報道側の原口さんへの寄り添いが顕著になっているが,万が一,原口さんが犯人ではないということを証明するあまりに,具体的にこの人が犯人だといった報道をされると大変な人権侵害になる」

旨発言したと報じられている。

 検事正が着任早々の記者会見で,個別事件についての報道のあり方に言及すること自体,極めて異例であり,それのみをもってしても報道の自由に対する重大な脅威と言わざるを得ないが,問題はそれ以上に深刻である。

 大崎事件は,再審無罪が確定した東住吉事件,湖東記念病院事件と同じく,そもそも「殺人事件」は存在しなかったにもかかわらず,警察,検察が真実を見誤り,供述弱者から自白を搾り取って,死体が遺棄されていたという事実から「殺人・死体遺棄事件」をでっち上げたところに冤罪の本質がある。

本件の第4次再審請求は,原口アヤ子氏と「共犯者」とされた3名の男性による殺人・死体遺棄事件は存在しなかった,という真実を明らかにすることに主眼があり,死体遺棄事件の真犯人を名指しすることにあるのではない。

そもそも再審において請求人や弁護人にアナザーストーリーの立証責任はなく,有罪判決に合理的疑いを抱かせる明白な新証拠を提出すれば足りるのであるから,これまで弁護団も死体遺棄の犯人について言及することには抑制的だった。

しかし,第3次再審即時抗告審決定(福岡高裁宮崎支部H30.3.12決定)が,初めて「死体遺棄事件」としての大崎事件の真実に踏み込み,その犯人となる者を示唆したところ,これを取り消した最高裁決定(最高裁第一小法廷R1.6.25決定)が,高裁の示唆した2名による死体遺棄は「全く想定出来ない」と決めつけたことから,第4次再審において弁護団は,この認定を覆す新証拠を携え,「大崎事件の真実」を明らかにする主張をしているものである。

内藤検事正の発言は,捜査機関が誤った見立てのもとに冤罪を作ってきたという自らの人権侵害を省みることなく,人権問題を口実に大崎事件の真実を闇に葬ろうとするもので,断じて容認することはできない。また,かかる発言はマスコミの偏向報道を誘発するおそれもあり,裁判所の判断に影響する懸念もないとは言えない。

大崎事件弁護団は,内藤検事正の発言に屈することなく,大崎事件の真実を明らかにし,原口アヤ子氏らの再審無罪を勝ち取るために,引き続き,力の限りを尽くす所存である

また,弁護団は,マスコミ各位が今回の内藤検事正の発言に臆することなく,ジャーナリズムの使命を全うすることを期待する。


 2 0 2 0 年( 令 和 2 年) 9 月 1 7日
 大崎事件弁護団 団長 森 雅 美 


 そして、冤罪犠牲者の会からは次のような声明文が発表されています。

抗議声明

   この度、鹿児島地方検察庁検事正として着任した内藤秀男検事正は、その着任記者会見で「大崎事件の第4次再審請求では報道側の原口さんへの寄り添いが顕著だ。万が一、原口さんが犯人ではないということを証明するあまりに、具体的にこの人が犯人だという報道をされると大変な人権侵害になる」と発言しました。
     私たち冤罪犠牲者の会は、このような恫喝と思える不当な検事正の発言に対して強く抗議します。
 内藤検事正は「第3次再審請求をよく知っている。最高裁判所の判断は重い」とも語りましたが、もし本当に最高裁の判断を知るならば、報道が原口さん寄りだとか、人権侵害だとかの言葉は出るはずがないのです。
    そもそも大崎事件弁護団、これまでの再審請求では原口さんたちの無実を立証することだけに限定して死体遺棄犯の問題には触れませんでした。それは人権問題の発生を考慮したからです。
ところが第3次請求を棄却した最高裁判所は「死体遺棄の犯行は被害者を運んだ人たちとは考えられず、原口さんたち以外にいない」とする判断をしました。
    その最高裁判断があればこそ、弁護団は被害者を車で搬送した人たちの行為や状況説明にある食い違いを指摘したうえ、最高裁判所の判断こそが誤りであることを指摘せざるを得なくなって「死体遺棄行為犯の存在」を主張したものです。そして、その弁護団の主張が正鵠を得たものと理解した報道は、報道の使命として社会に知らせているだけのことです。
 もし本当に内藤検事正が第3次請求の経過を承知すると言うのならば、報道された第4次請求内容を加味して考慮したとき、検察も原口さんの無実を見抜いて弁護団の請求に同調して再審請求を申し立てる側に立つべきだろうと考えます。もとより、マスコミを恫喝するような発言などは、絶対に出来ないはずだと考えています。
    何があっても検察が正しいとして過ちを認めない姿勢こそが、冤罪を生み出す原因であると考える私たちは、この内藤検事正の発言も同じ過ちであり、不利な状況を検察の権力を持って封じ込めようとする不当な発言であって、絶対に容認できません。納得できません。
 内藤検事正は、その誤った認識を改めて発言を取り消し、謝罪するように強く求めます。

2020年9月18日
冤罪犠牲者の会




 ■弁護団抗議の経験を報道する西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/646013/


「第4次請求では報道側の原口さんへの寄り添いが顕著になっているが、万が一、原口さんが犯人ではないということを証明するあまりに、具体的にこの人が犯人だといった報道をされると大変な人権侵害になる」とコメントした旨報じられています。「NHK NEWS WEB」
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20200916/5050012063.html?fbclid=IwAR3KcOzCgKlDQa7RPyaDH_CxOMhSjULmew-dAQDPrHaxl2Xkbl04oMHqAIo




緊急声明

大崎事件再審を取り消した最高裁決定は、司法の正義への真っ向からの裏切りである。

 2019年6月26日 再審法改正をめざす市民の会


最高裁判所第一小法廷(小池裕裁判長)は、6月25日付で、大崎事件第3次再審請求特別抗告審において、再審開始を認めた原決定(福岡高裁宮崎支部)および原々決定(鹿児島地裁)を取り消した上、自ら再審請求を棄却する決定をした。
 大崎事件再審請求は、事件発生から40年にわたって一貫して無実の主張を貫いている原口アヤ子さん(92歳)が、3度も再審開始の決定を受けながら、検察の執拗な抗告繰り返しによる再審妨害を乗り越え、最高裁の正義と良心を信頼しつつ最後の救済を求めていたものである。
 「本件抗告の趣意は、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法433条の抗告理由に当たらない」
 決定は冒頭こう述べている。であれば、抗告を棄却するのが常道であり、未解明の点が残ったとすれば、原審に差戻すか、再審公判にゆだねればすむことである。しかし、同決定は「所論に鑑み、職権をもって調査する」として、一転奇怪な論旨へと変貌する。
 すなわち、原決定が刑訴法435条6号の新規明白性を認めた吉田鑑定に難癖をつけ、遺体の腐敗が著しく、また写真のみによる鑑定であることから、吉田鑑定の証明力には限界があり、他の新旧証拠と総合評価しても、確定判決に合理的疑いを生じさせるにはいたらないというのである。
 しかし、そもそも腐敗による遺体の損傷がはなはだしく、死因等の解明に一定の限界があったのは、実際の司法解剖にもとづく城旧鑑定も同様であり、「他に著しい所見を認めないので、窒息死を推定するしかない」というものにすぎない。しかも、第1次再審請求時に、補充鑑定書(城新鑑定)によって、絞殺を示す所見はなく、共犯者の自白とは矛盾する旨の訂正がなされている。
 法医学に素人の裁判官が、その高い見識を最高裁自身が認めている吉田証人に対して、説明や反論の機会さえ与えず、差し戻しではなく自判したことも、驕慢と軽率のそしりを免れない。又、再審にも「疑わしきは被告人の利益に」の鉄則が適用されるとの白鳥・財田川決定の先例を無視するに等しい上に、「明白性」の判断方法を軌道修正せんとする意図すら感じる。
 検察の特別抗告申立てから1年3ヶ月にもわたり、病床で再審を待ちわびる原口さんの願いに冷たい沈黙で答えてきた最高裁は、そのあげくに一片の決定書で彼女の人生で最後の切実な願いを踏みにじった。裁判に対する素朴な信頼を真っ向から裏切り、司法そのものへの不信感を醸成しているのは、最高裁自身といわざるを得ない。
 これが、下級審に対し、再審を必要以上にためらわせる抑圧となることが危惧される。また検察に対しても「理由があろうとなかろうと抗告を繰り返せば最高裁が助け舟を出してくる」との誤ったメッセージを与えかねない。そのとき、危機に瀕するのが「無辜のすみやかな救済」という再審の根幹の理念にほかならない。
 「再審法改正をめざす市民の会」は、無辜の救済を真に実現する再審制度の確立、なかんずく検察官による不服申立ての禁止の切実さをあらためて訴え、ともに再審法の改正を推し進めることを訴えるものである。